昭和58年12月23日 月次祭
今晩こちらに出らせて頂くまで休ませて頂いとりましたが、丁度もうお祭りの時間ですよ、というて起してもらいますまで。お夢を頂いておりました。そのお夢はもう数十年前の椛目時代の模様でございましたが。もう14もうやんがて4、50年なるのにその日はないか大変忙しくて、毎日親教会日参のおかげ頂いとりましたが出来ませんでしたから。今からお参りさしてもらおうと私しが申しましたら、母が今日はあんた、まぁええらぁい疲れとるから私が代りに今からお参りするからあんた早う休みなさい。
と言うてくれましたので、そんならそげんして下さいと言うて、母にお参りしてもらいましたが、まぁ5分か10分くらい夢の中に立った様なかんじでしたが。えらぁいがたがたがたいうて雨風が強くなったようでございます。それで私しは心配になって、また母の後を追ってお参りに出掛けたところでございました。あの時分の信心の事を思うて見まして、信心に大切なもの。それもそれは信心の段階におうて、段々もちろんお育てを頂くと同時に、変わって行かなければなりません。
椛目の愛子が丁度参りましてから、昨日か一昨日かいろいろ話をしておる内に、このうもうあそこもここもこの頃風邪引きばかりね、との話の時に。文男先生がいわれました。親先生ちゆう人は強い人じゃったなぁ。ただ何十年間、まぁ信心頂いとるが、親先生が風邪気味で倒れなさった事がなかったがと言う話を聞いて、愛子もほんにそうしたでしょうね。と思うとと。私自身もね、本当におかげ頂いておったなぁ、やはり信心には気合がいります。元気な心で信心せよと仰せられますが。
その元気な心、その気合ですね。例えばなら風意味の時もやっぱあんなことはございませんでしたけれども。朝晩水行してましたからね、みずを被っておりましたから、水を被るとまぁちょっとした風邪ならば、もう休むと言った様な事は、熱発すると言った様な事は無かった様に思います。やっぱり信心には気合。同時にこれはどうしても家族が勢を揃えなければならない。よく母が、私しが断食中なんか、今日は神様にお伺いをしてみなさいち、今日はお食事をお許しを頂くに違いないって。
お許しを頂くに違いないからお伺いせろという、何の自分がその代り一時期断食をしとった。そして私しに、まぁ一生懸命食事を食べて貰いたいと言うので。と言う様に母が変わってまぁ修行をしてくれておる。ご本部参拝、御大祭、もうどんな中でもどんな場合であっても、もう絶対曲げない、いわば生き方を実行してまいりました。私は今日その事をその様な事を思うて。今合楽で言われる実験実証と言う事の、まず実験時代がなからなければならないということでございます。
ま、一遍実験したから二遍実験したからどうと、そこに答えがでないなんて事じゃなくて、もう実験に実験を重ねたところに、間違いない実証が現れて来るのです。そして実証が現れて来るたんべんに、神様を信ずる力は強い大きなものになって、より尊いより有り難い信心に進んで行く事ができるのです。私が御本部参拝でも、まぁその当時親教会から月参りを、親先生のお供をさしてもらっておりましたが。もうどんなことがあっても今月は御無礼しますと言うた事はございませんでした。
そりゃもうほんとに一生懸命で、いま椛目の妹なんかは、その旅費を作る為に亡くなった主人の形見までも、最後には売り払って旅費を作ってくれました。ある時は親教会から団体参拝さしてもらう。どうしても旅費が出来ません。それでもう参拝の朝方は、朝御祈念に参って帰ったら。ちゃんと御本部参拝の用意をして、そして雜?(ざつのう)かろうて御用さしてもらっている。私しの事ぞっこんしっとるけど、私があぁおかげを頂いたばいの。いやもう旅費が納まったのかとこういうわけ、いいや納まっとらん。
この人ばっかりゃあきれたち。あきれられれおりました。旅費もお金もない、とにかく久大線の善導寺から乗っておりましたから、もう駅まででも行く積りであの用意だけはしておる。ちょうどそう言うところへ、正義先生のお兄さんであります、久冨繁さんがお参りさして頂こうと思よったが急にお参りが出来なくなったから。大坪さんあなたが代りにお参りして下さいっち。もう皆んな驚いてました。はぁ大坪さんあんたの一心が届いたというて、まぁそういう様な事がもう何時もでした。
或る時にゃ御本部参拝を、もう片道しかなかったから片道だけで参りました。なら片道は歩いて帰る積りじゃったじゃろうか。まぁどう言う風に思ったか自分でも思いませんけれども。お参りさして頂きます、この秋永友義先生、それに正義先生がその時分から私について回っておられましたが。3人で奥城に何回目かの出ました時に。二人の財布を調べて見れと神様が仰った。
二人の財布をこう、二人の財布をね、出しましたら丁度帰りの旅費が。はぁりゃやっぱこりゃあんた達の懐まで神様は計算しちゃっとじゃろと。言った様な事もございました。だから私しはもう信心に大切なものというのは、そうした元気な心と一途な、私しはものそれはね。家族勢を揃えての信心、いわゆる実験時代と言うものを通った後に、実証時代が来る必ずやって来ると。
今日は私しはそれを実験、合楽では実験実証とかいわれるが、先ず実験時代を大事にしなければならない。是は昨日の朝でございましたが、お夢の中にいまここなんか新聞の様な、お道の事が書いてある、それにある人が、金光教の信心とは、もう色んな宗教、以前の宗教と言われるげなが、確かに金光教の信心は、他の宗教の追従を許さない、絶対な独自性を持ったものである。
それを信ずることが信心であるとある。最後に是を信じ切っておる者がアメリカにも一人おると最後に書いてあるんです。ははぁこりゃ私の事を書いとるとばいなぁ。アメリカに一人おるちゅ事は、どういう意味だか解りませんけども。ここではあの米国人のデュックさんと言う方が熱心にお参りして来ます。その方の事かもわかりませんけれども、んなら金光教の信心をそれほど絶対のもの。外の宗教宗派では追従できないもの、私しのいま言うとります様な実験時代にね。
今は金光様が素晴らしいいわゆる、まぁ金光様から命を頂いて助けてもろうて今日まで至っておる。家族親戚のものまで助けて頂いておるという。ただ何とはなしにそれだけで金光様金光様というておった。同時に金光様の信心は強要がない、お供えせにゃ何とかこうせんならんと言うな難しさがない。やっぱり穏やかで金光教が一番良いというふうに。あんたの金光教は何処が一番ええかといわれたら、それ以上の事は言えなかった時代がずっと続きました。やっぱ実験時代です。
皆さんどうでしょうか、金光教の信心のどこが素晴らしいか、どこが絶対ほかの宗教の追従を許さない、ほんとうに宗教以前の宗教だなと解らせて頂いて。私はそういう絶対なものを心に頂いての信心じゃないと、信心にはまりが出てこないと思うですね。何とわなしの信心、お参りをする、御願いをしておかげを、御利益があらたかだとと言う様な事だけの信心では。そのそしてその新聞のその夢の中で見ました新聞を読んだ。それはなんか偉い先生方が集まっておられるんですね。
そしてそれを軽視して笑って、鼻で笑った様な様子のところです。だから金光教の信心を、例えば頂いておってもまた金光様のおかげで、お賄を頂いておる教会でも教師でも。そりゃ金光様だけが立派な宗教じゃない。やっぱ外にっも宗教はいろいろある。教えられることはたいしてそう変わらん。けれどもやっぱ縁あって金光教になっとるから、金光教を頂いておると言った様な方が多いじゃないでしょうかね。私くし今日なら金光教をその、新聞の記事を見て私もそう確信しておる。
なら私達はやっぱ皆んなから笑われるはずだなというふうに、今夢の後に思ったことでございますが。段々信心の向上と言うのは、実験に実験を重ね、いわゆる教えを行ずると言う事がです。本気でしかも一途になされていく。そして私しは申します。教えの実践と言う事は、もう絶対におかげが伴うのだと、ただ熱心に日参りをしたから、ただなんとはなし金光様の信心に帰依しておると言った様なものではなくて。その金光教の信心の、なるほど教祖様はうそを仰ってない。
教祖様の御教えを其のまま実験して行くうちにいわゆる。実証がずっと伴ってきて、いわゆる金光教の絶対性、あとはもう外にはない独自性。ただ金光様の教えには実に不自然さがない。実に自然である、なるほど天地の心を心として行く生き方は。が教えの全てであると言う風に分かっただけで素晴らしいと言うのじゃなくて。それを実験実証して。はぁぁいよいよ絶対なものにしていくのは、私し共信奉者一人一人の、こりゃもう責任で、私しの信心時代もただもうこれ日参だけはもうどんな事があってもとか。
こうと決めた事、例えば御大祭、神様にお喜び頂けるような事、なら御本部参拝、こりゃもうこちらがその気におりゃ絶対神様がお参りさせて下さる。大祭の御用には使うて下さる。と言う確信が生まれました時に。それだけの核心はそのまま神様を信ずると言う事になります。そして教えを実践して、それが実証になって現れて来る時に、いよいよ教祖の神様の御信心いわゆる教えと言うものがどんなに、前例を見る事のない絶対なものであるか。と言う様なものを一つひとつ、やはり体験して行かなきゃいけん。
そりゃあんまり合楽理念による外はない。合楽理念の実験実証以外ないとは、さぁとこう言うてしまうとそれだけですけれども。この実験時代をね大切にしなければ。それにはどうでも皆さん元気な心が要るです。この度のお参りはもうお金がない事は神様は御承知だからと。今日はこんなに忙しかったんだから、御無礼しても神様が見ておられるから、例えどんな事があっても結局例えば是は私しの、難儀時代なんかでもね。
あのお伺いをさして、どうでもこうやってお伺いをすると神様は、伺う心は食べたい心じゃと、もうきついお叱りを頂いた事がございました。食べてもいいでしょうか。お許しを得る。食べたいじゃないただお伺いしてるだけだった。というのにもうお伺いをする心は食べたい心だぞと。そこに一つの誰がなんと言うても貫く。いっとこう修行なら修行をね。今こそいわゆる金光教の教祖の信心の独自性の、いわゆる表行をしないと言う事だけだども、表行を一生懸命やっぱした時代もありましたが。
こちらに参りましてから、表行の道を教えてもらい表行全廃。合楽では表行するものは合楽で修行する事は出来ん言われる程に、表行と言う事全廃。いわゆる教祖のお言葉を素直にそのまま受けて実行させて頂いて。いわゆる信行、心行、家業の行と。と言った様な行に本気で気切替させて頂きましたが。もうその事を境にあの合楽のごひれいはうなぎのぼりです。なるはど教祖様は嘘は仰ってないなぁと。と言う風にですまぁ一言二言じゃないですけれども、いわゆる実験時代を辿らせて頂いて。
今日こうして実証の証しを立てておる。その実証の証しのところで、皆さんがなるほどと思われるだけじゃなくて、皆さんのお一人お一人を一心発起。どうでもこと神様の事、こういう生き方は神様が喜んで下さることだ。と自分で気付いたならそれをね貫く元気な心と。それに取り組ませて頂く、実験が必要だと言う風に思います。昨日は壱岐の末永先生が年末のお礼に夫婦で出て参りました。それで私しは夫婦の者にやすんどったけれども、起きてから色々お話をさして頂いた事でございますが。
今お話し聞いて頂いた朝のお夢を聞いて貰いながら、金光教の信心の独自性と言うものは、今までまぁ日本人が観念しておった思想と言った様なものが、いかに御神意に添わないものか。昨日はその事を話し出しましたら、不思議に次から次とお話はでるんです。それは昨日の例えばあのう。忠臣蔵なんかのお芝居が、もうどんな不景気の時でも大当たりに当ると言う。はぁあぁ言う様な義理人情の世界とか、忠君愛国の観点が違っておる。命を粗末にする。自殺行為もうこれ程天地の祖神様に御無礼になる事はない。
ああいう例えば、佐賀の葉隠のなかにあるそうですが、武士道とは死ぬる事と見つけたり。と言う様に命を孔孟の軽きにおく事が。如何にも勇気のある素晴らしい武士道であったり、義理を立てる事になる。義理とか人情と言う事ではありません。私昨日お話ししよってから自分のながらたまがった。喜久雄さん、嫁ごが見つかって美津子さん。例えおやだったちゃ義理人情で親に接しては出来ん。もう金光教には真一心だけしかない。人情じゃないどこまでも神情だ。
うちの嫁御は気がきかん、うちの嫁御は冷たいと例えば言われることがあるかも知れんけれども。それが人情で、神情でつかえておるならそれでいえばいい。という言う様な話でございましたが。例えば乃木大将なんかは、明治天皇陛下がお隠れになったちゅってから、後追い、ありゃ夫婦で後追い心中した様なもんじゃ。それを軍神のなんのちゅて祀り上げ、そういう精神が日本の中から消えて行かなければ。本当の平和は生まれない。命を軽く見る。もうとにかく命を粗末にすると言う。
いわゆるいうならば武士道なんては、日本人の一つの鏡の様に言われて参りましたけれどもこんな世相は間違い。金光大神の信心を本当に頂いておると、世界総氏子身の上安全をこそ願え、どうぞ戦争で勝ちます様にと言った様な願は出来なくなる。もう私しはそう話しょって。はぁ教祖の信心のやはり偉大さと言うか。こう言うところに根本を教祖はおいておられたんだなぁ。いよいよお道の信心の、まぁこれはだからお道の信心の独自性と言った様なものは。教えを実験したみなけりゃわからんです。
その実験がですそれこそ一辺二辺でへこたれるのじゃなくて。これが押しこぼせておられる事のその受け方あり方を。いよいよ追及してそれを貫くいうならば、あぁ精神信心にそういうものが必要、そして今お道の信心のどこをどれだけ自分のものにしておるか、どこを信じておるかと言う事を高めて行く。世界に類例を見る事のないお道の信心に、ということが実験実証によって頂ける。また自分でも現して行ける様になって始めて。金光教の信心が前代未聞の宗教であり、宗教以前の宗教であり。
こんな尊い教えをいよいよ自分の周辺にも拡げていかなきゃならんと言う様な力のある活力を得ることが出来ると言う風に思うんです。いよいよ今年もあと僅かになりましたが、一年を振り返って見て。やはり気合がたりなかったなぁ。とまぁ思うなら後まぁ1週間余りだけでも、そういう気合のある実験をいわゆる、芯にした信心をさせてもろうて。一年間の締め括りにして頂きたいとおもいます。
はぁもう合楽理念をもってそのかない金光教の信心は有り難い有難いと言うておるだけじゃなくて。もう実験時代を一つ本気で、しかも一途に貫いて、そこに神様のはっきりした手応えを頂けれる様になる。しかも今度は思いや願いが段々変えられてくる。いわゆる教祖の神様の高度の御教えに取り組むことが出来る様になるいよいよ信心が高度になって来る。金光教の信心は素晴らしいと、ほんとに心から言えれる信心を見仕付たいと思います。今日はなになには合楽理念をもってするほかないと。
あんまり簡単に言うてきた感じが。そしてここに実験実証すると言う事を分けて。今日は聞いて頂いた様に思う。そして今私しが金光教の信心に素晴らしいと、まぁいよいよ外の宗旨宗派で追従を許さない宗教であると言う事の一端をね。私は今確信を持って皆さんにお聞き頂くわけですが。皆さんも銘々がそういう確信が得られるために。いよいよ実験の時代を大切にして頂きたいと思います。
どうぞ。